深い緑に囲まれたのびやかな緑の空間

 

 緑で人々を癒し・育てる

 

「鬱蒼とした森の中に抱かれていると時間の経過を忘れてしまう」というような雰囲気のある公園が群馬の森です。この公園は明治100年記念事業の重点施策として建設され、平野部の貴重な樹林地の保全、育成、活用を進めていくと共に、文化的レクリエーション活動の拠点として整備を進めてまいりました。著しく緑の減少してきた都市周辺部で緑を大規模に導入し、都市の住民が緑を通じて人間性を確保するため、森林公園としての性格の強い公園として建設されました。主な施設は、来園者が自由に入ってくつろげる大芝生広場をはじめ、遊びの広場(遊具)、わんぱくの丘、かたらいの丘、ふるさとの道(全国都道府県の木の並木道)、修景池、休憩舎などです。

 また、この公園で不足していた水とのふれあいを図るゾーンとして、修景池周辺整備および、正面エントランスゾーンに接する河川に親水型護岸整備が完了しました。さらに群馬の森は野鳥の多い公園としても知られております。

 なお、大芝生広場の北側に群馬県の美術、文化の殿堂として県立の近代美術館と歴史博物館が設けられており、県内外から多くの人が訪れています。

「明治百年記念事業」

 

  群馬の森誕生

 

昭和43年、建設省は「明治百年記念事業」として、全国に森林公園を設置することを決定しました。群馬県はこの決定を受け、武蔵野の平地林の面影を残す自然豊かな国有地「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」跡地に県事業として「群馬の森」を建設することにしました。

 都市計画決定は昭和45年3月、昭和46年から本格的に施設整備に入り、昭和49年10月には大芝生広場を中心として県立近代美術館等の施設整備が概成した西の部分約8.7haを一部供用開始しました。昭和51年4月には整備の完了した樹林地約6.1haを追加して14.8haの供用開始。さらに施設整備の完了により昭和55年度末、都市計画決定面積26.2haの全域を供用開始しました。

たかさき100年

 

  岩鼻火薬製造所事務所

      (現在日本化薬(株)が使用)

 

「群馬の森」の一帯は、かつては陸軍の火薬製造所があった所でした。その歴史は古く、明治15年(1882)11月、黒色火薬の製造を開始しています。当時陸軍には東京の板橋に火薬製造所がありましたが、増産が必要となり、建設地を探した結果、岩鼻が選ばれたのです。その理由としては、烏川と井野川に沿って舟運の便がよく、水車の動力も得やすいことが挙げられています。

 

創業時は「東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所」と称していましたが、大正12年(1923)4月に「陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所」となり、昭和15年(1940)4月には「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」と変わっています。昭和20年に終戦を迎え、その歴史に幕を閉じました。

 

この間、明治38年(1905)には日本で初めてダイナマイト製造を開始し、従来の黒色火薬と併せて、軍用火薬、民間用の産業火薬の生産、供給を行ってきました.・・・・続く

高崎市HPより引用

 

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